第7章


 「バテシバごときで驚いちゃいけない。私が書く『列王記』のソロモン王は王妃七百人、側室三百人だからな。『列王記』の始めは、老齢となったダビデの跡継ぎ問題からだ。宮廷はアドニヤ支持派とソロモン支持派に真っ二つで不穏な状況となる。ダビデの残った王子たちの中でアドニヤが一番年長だから彼が次の王になるのは順当なところだが、なにしろソロモンにはバテシバがついている。ヘブロン以来のダビデの家臣たちは気が気じゃなかったろう。エルサレム由来の、ソロモンの脇を固める人々が勢いを増してきているのだからね。祭司ザドクとエホヤダの子ベナヤだけでなく、バテシバの一件でダビデを断罪した預言者ナタンもソロモン側についた。バテシバの嘆願が功を奏してダビデはソロモンへの王位継承を承認し、ソロモンは祭司ザドクによって油注がれ王として即位する。その争いに敗れたアドニヤとヨアブはベナヤによって殺された。また、アビヤタルが祭司職を追放された事の顛末とその後の経緯は知っての通りだ」

「ヨアブもついに死んだか。サウルの将軍アブネルと平和的に手を結
ぼうとしたダビデの思惑を打ち砕いた男、バテシバの夫ウリヤを前線に送って戦死させた男でもあったが…」
「そして、アブサロムのとどめを刺してダビデ軍を救ったものの、息子の死を嘆いて戦勝どころではないダビデを一喝した男、ダビデに更迭された時、代わって長となったアマサを仕掛けを施した剣で暗殺した男でもある。それが即ち、ダビデ時代のイスラエル全軍の長ヨアブだ。最期だけ主の天幕に逃げ込んでもな…」
「権謀術数にたけた連中が蠢く世界だな。よほどうまく動かないと、とても生き残れまい。そんな場所で生きなくてよいだけでも感謝しなければなるまいな」
メラリは目でアビエルに応えて、話を続けた。
「こうして旧世代の息の根を止めた後、ソロモンはその地盤を確かなものにして自らの治世を始めた。彼は経済的手腕もあったし、未来予測でも目端の利く王だったから、王国は発展した。エジプトのファラオの娘を妃に迎えるという異例の厚遇が、何よりイスラエルの地位向上を象徴している」
「エジプトとのつながりはソロモン以来か。ゲダルヤ暗殺後、エレミ
ヤを連れてエジプトに逃げた政府の高官たちは、エジプトとパイプがあったということだからな」
「書記官や補佐官、労役監督の長など主要な行政官はダビデの頃からのものだけれど、宮廷関係の職務はこの時代に整えられた。他には各地に代官を置いた。王国の体制確立に必要な役職はエジプトのそれをお手本にしたんじゃなかろうか。生まれたばかりの王国が、洗練された伝統と高い文化を誇るエジプトの支配体制を参考にするのは当然だろう」
「エジプトだってイスラエルに親エジプト派を根付かせることができれば、いろいろと有利に事を運べるという計算があったはずだ。事実、アッシリアやバビロニアが隆興した後の国際状況では、親エジプト派の画策がなければもう少し別な対処の仕方もあったんじゃないかと思う」
「ヒゼキヤ王時代の書記官セブナか?」
「たとえばな」
「そうだな。宮廷にはいろいろな力が渦巻いている。それに、代官と徴募の長を配置したということは、イスラエル全土から物資と人をい
つでも徴集できるってことだ。あらゆる力が王宮に集中し、これはやがて、エルサレムを都とする王権に対して不満を募らせていく要因となった」
「そうだね。ソロモンの死後、北イスラエルの人々が、『なぜユダに嗣業のない我々がその負担を負わねばならないのか』と言うのも無理はない」
「待て待て、そんなに早く死なせるな。ソロモンの話はまだ続く。ともかくソロモンはツロの王ヒラムと結んで、その助けをかりてエルサレム神殿建築を行った」
「それが彼の一番の功績だな。まあ、商才に長けたヒラムの方が一枚うわ手だったがね」
「いや、二、三枚うわ手だった。海洋交易は彼らの古くからの生業なのだから、かなうはずがない。ソロモンは即位してまだ四年目だったから、神殿建設の資金はあまりなかった。青銅やら何やらダビデが存命中に準備していたものはあったろうけど。だから神殿建築の費用の捻出に困ったソロモンは、自国の労役人夫を出してシドン人とともにレバノンの香柏を切り出させようと申し出るのだが、ヒラムはその提
案を実にうまくあしらった。ソロモンが出す労役人夫が行うのは材木の受け取り部分だけで、ヒラムは切り出した材木をいかだに組んで海路を運ぶことを自国の人夫に任せ、イスラエル人に海の権益に手を触れさせなかった。そのくせ材木の費用は当然のこと、シドン人人夫の賃金もソロモン持ちだったから、さぞかしがっぽり儲かったことだろう」
「ヒラムにどのくらい払ったんだい?」
「毎年小麦とオリーブ油を二万コルずつだ」
「べらぼうだな。借金しなければとても払えまい。だが背に腹は代えられない。レバノンの香柏や糸杉が手に入ったのだから、ここはよしとしなければ」
「ソロモンは労働者を強制的に徴募して、集めた三万人を一万人ずつ一か月交代でレバノンに遣わしたほか、荷を負う者が七万人、山で石を切る者が八万人いたから、工事を監督する上役の官吏だけでも三千三百人あった。これが神殿建築に関する総決算だ」
メラリはふうっと息を吐いた。畳み掛けるようにアビエルが訊いた。
「神殿に続いて王宮が完成する頃にはすっからかんだったんだろう?」
「王宮は神殿の倍近い年月をかけて完成した豪奢なものだったから
ね。ソロモンは思い余ってヒラムにガリラヤの地の二十の町を与えるけれど、現地を視察したヒラムに『あなたがくださったこれらの町々はいったい何ですか』と言われる始末。まるで子ども扱いだ、ああ情けない」
「ソロモンが交易で手腕を発揮した成果が現れるのはそれからだろう?」
「ああ、タルシシ船隊のことだな」
「そうだ。エジオン・ゲベルで編成した船隊だ」
「イスラエルには造船技術や航海技術はないから、交易に乗り出すにはヒラムの力を利用するしかない。一方ヒラムは、莫大な利益が見込めるタルシシに船を出すには手前で目を光らせているエジプトをなんとかしなければならない。ヒラムが、ファラオの娘婿でエジプトに顔の利くソロモンと手を組むのは理の当然だった。ヒラムと結んだソロモンは、所有するタルシシ船隊をヒラムの船隊と一緒に航海させ、こうして三年に一度オフルに向けて出航する船団は巨万の富をもたらした。すなわち、金、銀、象牙、猿、孔雀を載せて帰港したのだ」
「交易によってもたらされた金や諸々の財宝、香料によって、ソロモンは国の財政を立て直すことができたんだね」
アビエルに向かって頷きながら、メラリは話を続けた。
「神殿に続いて瀟洒な王宮も建てられ、ソロモンの偉業は近隣に鳴り響いた。シバの女王が来訪してその知恵を褒めそやしたのは有名な話で、一挙に王国は絶頂期を迎えた」
「メラリ、もう一つ確かなのは、タルシシ船隊がなければアミッタイの子ヨナの話は残らなかったということだ。彼が神の命に背いて乗り込んだ船はタルシシ行きだったのだから。ソロモンの知恵についてはたくさん伝えられているね」
「ああ、国が落ち着いている時、民が王に求めるのはなんと言っても公正な裁判だからね。お前が『申命記』の最初の方に書いてたじゃないか。モーセも負いきれないほどその務めが増えたために、別に裁判官をおいた、とね。人を偏り見ることなく、兄弟間でもまた寄留者に対しても正しく裁くようにと命じて」
「裁きは神に属することだからね。そして、裁判官にも決められない難しい問題は自分のところに持ってくるようにと、モーセは命じていたはずだ」
「ソロモンも難しい問題は自分で裁いた。ソロモンによる裁きでよく
知られた話は二人の母親の間で起きた裁判だったね。自分の赤ん坊が死んで、同じ頃生まれた別の赤ん坊とすり替えた女と、その本当の母親の間の裁判だ。お腹を痛めて産んだ子がたとえ相手のものになろうととにかく生かそうとするのが母親というものだ。ソロモンの判決はあっという間に出た」
「なあ、メラリ、子供の頃ソロモンの箴言をアヒメレクからたくさん教えていただいたよね。何か覚えているかい?」
「懐かしいな、アヒメレク様の授業。厳しかったよね、復習をサボると…」
「わああ、やめてくれ。今でも両方の耳が鳴る」
「ああ、容赦なく叱られた。覚えている箴言ね、やはり印象深いのはこういう言葉だった。『わたしは二つのことをあなたに求めます、わたしの死なないうちに、これをかなえてください。うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。飽き足りて、あなたを知らないといい、「主とはだれか」と言うことのないため、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです』」
「やっぱり覚えているものだな、子供の頃習ったものは。私の願いも
本当はただそれだけなのだが。あとは? メラリの心に響いた箴言は他にないかい?」
「もちろん幾つもあるよ。まず、『人はくじをひく、しかし事を定めるのは全く主のことである』というのは、まさにその通りで言うべきことは何もない。それから、『人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある』、だな。今でも常に胸に刻まなくてはならないと思う、どきっとする言葉だ。それから、『友はいずれの時にも愛する、兄弟は悩みの時のために生れる』というのも忘れ難い。アビエルと私は兄弟なのか友なのかもうわからないけれど、これまで一緒に過ごしてこれたことは神に感謝するほかないことだ」
「ああ、メラリ、家庭のことで言うなら、『平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる』という言葉以上の真実はない。決して裕福ではなかったけれど、食べるのに困ったことはない、本当に幸せな家庭を与えていただいた。こういうことは願ってもかなうとは限らない。ただ感謝して受け取るだけだ。あ、ハンナを思い起こさせる箴言もあったね。『力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教えがある』と」
「箴言には『野菜を食べて互に愛するのは、肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる』というのもあったと思うけど、実際ソロモンの王宮では、一日に上等の小麦粉三十コル、粗い麦粉六十コル、 肥えた牛十頭、牧場で飼育した牛二十頭、羊百頭、そのほかに鹿や鳥が消費されていたのだから、途方もない量の食糧だ。さっきも言ったけど、強制労働も強制徴収もあって、それが北イスラエルの犠牲の上になされたものだったから、王国分裂の種は蒔かれたと言ってよい。ソロモンの治世の間、ダンからベエルシバに至るまで国中どこでも『安らかにおのおの自分たちのぶどうの木の下と、いちじくの木の下に住んだ』と言われる平和が保たれていたのに、戦車を誇り、馬を誇るためにそれらの部隊を保持していたことも、財政を圧迫しただろう」
「戦車用の馬の厩四千と、騎兵一万二千人だね。これを保持するのに一日にどれほどかかることか。でも王国衰退の要因はもう一つあるんじゃないかな。ソロモンは妻が多かったから、彼女たちが信奉する諸々の神々に引きずられたことだ。シドン人の女神アシタロテ、アンモン人の神ミルコムやモレク、モアブの神ケモシ…。妻たちがソロモ
ンの心を転じさせて、彼は主から離れてしまった」
「一番の原因はそれだな。それがシロの預言者アヒヤの登場につながる」
「でも、メラリ、一方でソロモンは、青銅細工で飾られた香柏と糸杉の壮麗な神殿の奉献の時には、民とともに心からの祈りと献げ物をしたよね」
「ああ、酬恩祭として牛二万二千頭、羊十二万頭、大変な数だ。至聖所には石の板二枚の入った神の箱が安置され、エルサレム陥落の日までそこにあった。それを最後に目にしたのはほかならぬ私たちだ」
「忘れるものか。あれはずっと私の目に焼き付いている」
「アビエル、ちょっと相談なんだが、ソロモンの神殿奉献の祈りはもちろん当時のイスラエルの民と共にする祈りだが、同時に今この時を生きている全イスラエルの民と共に祈るものとしたい。ちょうどお前が『申命記』でモーセの口から語らせた呼びかけのように。だめかな?」
「いいと思うよ。むしろ、それとわかるような演出があってもいいんじゃない? 神殿が雲に包まれるとか」
「えっ、そこまでやる?」
「だって、神殿は我々にとっての神の山ホレブだから。それより祈り
の内容はどうなるんだい?」
「まず、天地にあなたのような神はいないこと、この宮で祈ることによって、私たちの罪から生じるあらゆる災禍から救っていただきたいこと、異邦人であっても、この宮でヤハウェの名によってする祈りを聞きとどけてほしいことかな。あとは、捕虜として敵地に引かれて行った場合でも、心を尽くし精神を尽くしてこの宮に向かって祈れば、彼らをその地で憐れんでほしいことも書いておきたい」
「なるほど。異邦人のことを書くのはいいね。ヤハウェの名によってする祈りはイスラエルの民であろうと異邦人であろうと、神は分け隔てなく聞いてくださるだろうし、これまでも聞いてくださっていたことを私たちはもう知っているのだから。そのあとソロモンに顕現される神は、何を語られるの?」
「その時神が語る言葉は祝福と呪いにならざるを得ない。イスラエルはただ一つの神を信じてその神に拠って立つ民なのだから、神との契約を破った場合のイスラエルの運命は明白だ」
「後にマナセの悪行でそれは極まることになる」
「マナセが出てくるのはずっと先の話だ。ソロモンのあと北イスラエ
ルの王となったのは、城塞修理工から見出されて労役監督を任されたヤラベアムだった。これには、『ソロモンの死後、十部族を与える』と以前彼に告げたシロ人アヒヤの預言が絡んでいるが、イスラエルの諸部族がシケムに集まり今後の統治について話し合った時、ソロモン王の子レハベアムが北イスラエルの負担軽減の願いを退けたため、南ユダ王国との分裂は決定的になった。命を狙われてエジプトに逃げていたヤラベアムが北イスラエルの王として即位し、アヒヤの預言は実現した」
語り終えて、はぁっとメラリは大きなため息をついた。アビエルはそのため息の重さをわかりすぎるほどわかった。王国分裂後の歴史が始まるのだ。だが彼は、何気ないふうに言った。
「労役監督から、暗殺やクーデターなしで王になるのだからすごいものだ。ヤラベアムが人心掌握術に長けていたことは間違いない。だが、それは南のユダから長年収奪されていた民の怒りがそういう形で結実したと考えるべきだろう」
「ヤラベアムがベテルとダンに金の子牛の像を置いて自ら祭儀を行ったのは、国が南北に分裂した後も、北の民がエルサレム神殿への巡
礼をやめなかったためだね。エルサレムには神の箱があるから」
「メラリ、あれはめちゃくちゃだった。レビの子孫でない一般の民を祭司に任命したり、暦と違う自分勝手に考えついた月に祭を定めたりしたからね」
「結局は自分の王位を守るために神の力を利用しようとしたということだ。だから、自分勝手なやり方で祭儀を行っていたヤラベアムに、神の命によってユダから神の人が遣わされて来る」
「ヨシヤ王の出現を預言するのだな。彼を捕えようとして伸ばした王の手が、枯れたようになった場面は覚えてるな」
「だが、その手を元に戻してやった神の人が、別な預言者に欺かれて悲惨な最期を遂げるという不可解なおまけ付きだ」
「わからなくても資料のまま話を残す、だったな。メラリ、先に進もう。その後もオムリ、アハブとひどい王が続くけど、別に王朝史を書くわけじゃないんだから、預言者の働きを中心に書いてくれ」
「そのことだけど、この時代は何と言ってもエリヤとエリシャだろう? 子供の頃から知っている話ばかりだから簡単に書けると思っていたんだ。ところが、資料をよく読んでみると考えさせられること
が多くてね。エリヤとザレパテの寡婦の話は異郷の地シドンでのことでしょう? 一握りの粉と少しの油を最後の食料とするこの困窮の女に救いが与えられたということの意味を、私は今までちっともわかっていなかった。エリシャとアラムの重臣ナアマンの話にしても、重い皮膚病を直してもらい再びアラムに帰る時、ナアマンは自分のために、らば二頭分の土を持ち帰るよね。あれは主君が異教の神に礼拝するとき傍らで務めをしなければならないのだが、自分は異教の神を拝まないというしるしだった。二人とも真実の神に出会ったことを告白して終わる。あれが異教徒の救いに関する話だったことを私は今まで全然わかってなかった。逆にエリシャに仕えていたゲハジが、ナアマンから見返りを受け取ろうとして皮膚病になってしまうことを考えると、まことの信仰があればどの国の民でも、救いにおいては関係ないのかもしれない」
「なるほどな。私が印象深く覚えているのは、イゼベル擁する四百五十人のバアルの預言者および四百人のアシラの預言者と、たった一人で対決して勝利したエリヤが、その後信仰的に非常に弱って死を願う場面だ。子供心に悲しかった。それからエリヤは四十日四十夜導かれ
てホレブ山に行く。モーセが石の板を与えられた神の山にね。そこで神が通り過ぎて風があり、地震があり、火があったがそこに神はおられなかった。ただそのあとに静かに語る声が聞こえた。『エリヤよ、あなたはここで何をしているのか』と。忘れがたい話だ」
二人は遠い日に思いを馳せた。幼い頃、口伝えにあれほどよく聞いた物語が、まるで初めて聞く話のように聞こえるのはどうしたことか。アビエルがそう口にするとメラリが言った。
「それが神の言葉だからだろう。神が語られるごとに、私たちはそれを新たに聞くのだ。この世界を生きているというのはそういうことだ」
「ではこれからも、私たちは神の言葉を日々新しく聞くことができるのだな」
「そうあらねばならない」
メラリはきっぱり言って、話を続けた。
「そうそう、あとは北イスラエルの都がオムリの代にサマリヤになったことは書き記さねば」
「ヤラベアムは最初シケムに置いていた都をペヌエル、テルザと移したんだったな。オムリはどうして都をサマリヤに置いたのだったっけ?」
「さあね、謀反で王位についたジムリも七日天下で、王宮に火を放って自刃したからかな」
「でもメラリ、オムリがサマリヤに都を移したのは六年も後だよ」
「じゃあ別な理由だな。カナン的なものとの宥和政策か。オムリの治世十二年とその息子アハブの治世二十二年というのは、北イスラエルではかなり稀と言えるほど、安定した政権だった」
「ユダ王国はダビデ王家と密接な繋がりがあったがゆえに、血筋による世襲で王位継承が比較的安定していたけど、北はそうじゃなかったからね」
「北イスラエル王国では、王位継承の際に謀反や暗殺が多かった。北では預言者の権威や民の力が強かったから、現統治者に異を唱える預言者の指名とそれに賛同する民の支持を背景に、別の王が立てられるということが頻発した」
「オムリ家の例を考えると、皮肉な話じゃないか。カナンの風習に同化した王の治世が長く続くとはな」
「ともかくオムリは永続的な都をサマリヤに定めた。セメルから銀二タラントでサマリヤの山を買い取ってね」
「あの辺りは山の上だから夏は涼しくていいだろうね。セメルの名前をとってサマリヤか。問題はアハブがエズレルに持っていた冬の宮殿だな」
「そうだ。アハブはシドン人イゼベルを妃に迎え、サマリヤにバアルの宮を建て、バアルのために祭壇を築くという有様だったからね。アシラ像も造ったし。アハブの冬の宮殿近くに先祖代々のぶどう畑を持っていたばかりに、ナボテは悲劇に襲われることになった。その土地を譲ってほしいとのアハブ王の申し出を断ったせいで、ナボテは非業の死を遂げた」
「土地は本来神のもので、売ったり譲ったりできないものなのに」
「イゼベルはアハブの国璽を用いて町の長老や有力者に手紙を出し、偽証人を立てて無実の罪にナボテを陥れ、石打ちの刑にした。イゼベルが先導したとはいえ、間違った仕方でナボテの嗣業の地をわがものにしたアハブは最悪だな」
「長老たちだってこんなことを許せば、やがて明日は我が身だってことがわかってただろうに。この時代、エリヤやエリシャがいなければどうなっていたことか。土地って言えば、メラリ、エリシャの言葉に
従って飢饉を逃れてペリシテの地に寄留していたシュネムの婦人に、信じられない奇跡が起きたんじゃなかった?」
「ああ、かつてエリシャによって子供を生き返らせてもらった話が王に知れて、ペリシテから戻った時に、すでに王の所有となっていた家と畑を返してもらったと言うんだね。あり得ないような話だけど、この時代では数少ない慰められる逸話だからちゃんと残すよ。バビロンの捕囚から民が戻ってくる日があるとして、このような無類の恵みを期待するのはやはり夢だろうか」
アビエルもその気持ちは痛いほどわかった。だが今は感傷にふけっている場合ではない。
「メラリ、先を急ごう」
「すまん。イゼベルをこの世から葬り去り、オムリ家の支配を終わらせたのは冷酷無比なエヒウだった。彼らしい荒療治でいったんバアル崇拝を一掃したけれど、金の子牛像はそのままだったから、これも五十歩百歩ってことか」
「エヒウ家の支配は結構長かったよね。どのくらい続いたんだっけ?」
「まあ四代百年だね」
「エリシャがついていたからね。でもあの時代、北も南もアラム王にはずっと苦しめられたな。ベネハダデにも簒奪者ハザエルにも」
「その理由ははっきりしてるじゃないか。ユダ王国はヨラム王が北イスラエルからアハブ家の娘を妻にしていたのだから、どんな統治になるか目をつぶっていてもわかる」
「北イスラエル王国とユダ王国が姻戚関係にあった時代もあったのに、アマジヤの頃には両国が一戦を交えているね」
「アマジヤはエドム人一万人を討って意気が揚がっていたし、ヨアシはヨアシでアラムから領土を取り戻して自信をつけていたから、引くに引けずにやらなくてもいい戦いをしなければならなくなった」
「それってどっちかって言うと、ユダ王国にとってやらなくていい戦いという意味だろう。大敗してエルサレムの城壁を壊され、金銀や人質を持ち去られたんだから。何やってるんだろうね、もともと同じイスラエルの民なのに」
「愚かな王国の歴史ももうすぐ終わるから待っててくれ。北イスラエル王国はクーデターによる王の即位を繰り返し、ついにアッシリヤの王シャルマネセルに攻め込まれサマリヤは陥落した。考えてみればこ列王下6:24
の時最初の捕囚を経験したんだね。北王国は二百年しかもたなかった。南のユダ王国はこの時はなんとか滅亡を免れたものの、アッシリヤとエジプト、それに後にはバビロニアという強国の間で右往左往し、せいぜいその時々で周辺小国と同盟するくらいしかなかったから、やがて同じ運命をたどるのは目に見えていた。ヒゼキヤ王の時にはセナケリブにエルサレムを包囲されてあわやというところまで追い詰められた。ただ、ヒゼキヤは後を継いだ息子のマナセに比べたら立派な王だった」
「マナセと比べるなよ」
「そうだな。まあ、善王だったためかどうか知らんが、ヒゼキヤは預言者イザヤに嘆願して、アハズの日時計を十段戻すという不思議な業で、寿命を十五年延ばすことを許された」
「だが、息子のマナセがとんでもない悪王だった。バアルの祭壇を築き、アシラ像を造り、天の万象を拝んだのみならず、幼児犠牲、占い、口寄せ、もう何でもアリで、父ヒゼキヤの善政をくつがえしてしまったのに、治世はなんと五十五年…、歴代の王の中でも最長だ」
「マナセは北イスラエルの滅亡が身にしみていたはずだし、カナンの
風習を大いに取り込んで統治し、生き残ろうとしたのだろう。だが、これが破滅への最後の一押しになったに違いない。こうしてみると王と民による悪行の数々が思い知らされる。その後になされたヨシヤ王の律法改革は一筋の希望だったが、結局国全体の根本的、全面的な神への立ち返りにはつながらなかった」
メラリは一挙に語り終えると言葉を切った。王国史を辿ってきて、アビエルは頭がずきずき痛んだ。こうなるまでになんとかできなかったのか…。アビエルは言った。
「ヨシヤ王がアッシリアとバビロニアの勢力交代に巻き込まれるような形で、まだ若くして戦死されたのは無念としか言いようのないことだった」
「ああ、エジプト王ネコのアッシリア援軍を阻止しようとしてメギドでね。エジプトはバビロニアの勢力拡大を何より恐れていたから」
「ヨシヤ王はとばっちりを食ったといっていい。メギドの丘、ハルメギドンか…」
「その話は、アヒメレク様に何度も聞いたな。この世の終わりのような激しい戦いだったと。痛ましいことだ」
痛ましいヨシヤ王の最期、痛ましい数々の出来事…。それからアビエルはメラリに訊いた。
「メラリ、歴代の王による歴史をまとめてきて今どんな心境? 王国の歴史はどうだった?」
「む・な・し・い」
メラリは一言だけ答えた。その答えにアビエルも心底から同意した。
「ひたすら空しい歴史だな。ヨシヤ王の律法の書による改革も功を奏しなかったことを、エレミヤが神殿説教で厳しく説いていたと聞いた。律法は大事だ。守らねばならない。だが、そのことが絶対視されると神の御旨から遠のいていく気がする。そんなことないかな、メラリ?」
「いや、私もそう思う。これまでイスラエルは、空しいものの後を追って自らも空しくなってきたのだ。そんなことを望んでいたのではなかっただろうに。これまで書いてきたこと全部を考え合わせると、私たちの罪をあがなうには、もはや祭儀の励行や律法の遵守だけでは無理だということがはっきりわかる。律法にしろ祭儀にしろ献げ物にしろ、神に対して『これをしておけば大丈夫』などと思った瞬間に、衷心からの神へのまことは吹き飛んでいるのだから」
「なあメラリ、イスラエルに救いの道はあるのだろうか?」
メラリは静かに言った。
「アビエル、一緒に、空しくないものを追っていこう」
その穏やかな顔には決意が表れていた。それから普段の調子で訊いた。
「他に書き記しておくべきこと、何かあるかい?」
「そうだな。ヒゼキヤ王の時代のことは、日時計の奇跡以外にもう少し書いてほしいな。アッシリアの将軍ラブシャケは、悔しいが戦い巧者だった。だがあの時はヒゼキヤが踏ん張った。何があったのかわからないが、セナケリブは急に兵を引いたのだから。また後に、バビロニアのメロダクバラダンの遣わした使節に会った時、ヒゼキヤはどんな対応をしたのか、この辺りのことはよくわからない」
少し間があって、メラリが話し出した。
「アビエル、私が時々出かけていたのは知ってるだろう?」
「ああ、そのことは聞いちゃいけないのかと思ってた」
「まさか! 資料集めだと言っただろ? イザヤの弟子たちに接触していたんだ。だから、その辺りのことはかなり正確に書けるよ」
「イザヤの弟子たちに会っていたのか。言ってくれればいいのに」
「お前があまり喜ばないんじゃないかと思って、詳しく話さなかったんだ」
「どうだった? ・・・その、彼らと話した感触は」
「すごく熱い人たちだった。驚くべき話をたくさん聞いた。それでいろいろ考えているんだが、イザヤという預言者は正真正銘、神の言葉を語っていたように思う」
「聞かせてくれないか。やはり祭司出身なのか?」
「それがどうも貴族の出身だったらしい」
「それで王宮にも出入りできていた訳か。王のブレインと考えていいんだな?」
「とんでもない。イザヤは神から来る真実の言葉を語っていただけだ。周辺諸国との関係の中でイスラエルの先行きもはっきり見えていたから、そんなふうに思われたかもしれないが」
「生まれはウジヤ王の何年だ?」
「生まれは知らんが、ウジヤ王の死んだ年に召命を受けた預言者だと聞いた。だが、彼の前にいる民は聞けども理解せず、見れども悟らない民だった」

「今も同じだな。彼はどんな預言をした? たとえばアハズ王の治世、反アッシリア同盟に加わらせるために、北イスラエルのペカがアラム王レヂンと手を携えて攻めてきた時は? あるいはヒゼキヤ王の治世、アッシリアのセナケリブがエルサレム包囲した時は?」
「まあ、落ち着け。最初の方の時はこうだ。アハズ王と民の心は林の木々のように動揺したのだが、神は『布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道で、アハズに会うように』と、イザヤに告げる。息子を連れてだ」
「持久戦となれば一番心配なのは水だからな。なぜイザヤは息子を連れて行ったのだ?」
「息子の名は『シャル・ヤシュブ』だぞ」
「なんと! 『残された者は帰ってくる』か。イザヤはアハズに何と言ったのだ?」
「『落ち着いて静かにしているように』と」
「それだけか?」
「それで十分じゃないか。ペカとレヂンが攻めても勝てないと、彼は神の託宣として知っていたのだ。『信じなければ立つことはできない』
とイザヤは語った。ところが、アハズはこう応じる。『私は主にしるしを求めない、主を試すようなことはしない』と。するとイザヤはこう言うのだ。『主は自ら一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる』と」
「何だ、それは?」
「わからん。とにかく、『神われらと共にいます』と呼ばれる男の子が生まれるという預言だ。それからアッシリアによってもたらされる恐ろしい結末を告げるのだ。王が主に依り頼む気がないのでは国が立つはずがない。あろうことかアハズはアッシリアに金銀を贈り助けを求める。それに応じてテグラテピレセルはすぐさまダマスコを攻略しレヂンを殺した」
「その通りだ。この時はアハズの計略はうまくいったように見えたが、従属国となってエルサレム神殿にもアッシリア風の祭壇を作り、そこで祭儀をするようになったんだったな」
「ひどいもんだった。祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから送った設計図に従って新たな祭壇を建て、それまであった青銅の祭壇は北に移
して、新しい祭壇で燔祭の儀礼を行うようになった。ほかにも洗盤を台から降ろしたり、安息日用のおおいのある通路や王の用いる外の入口を神殿から除いたりした。すべてはアッシリヤの王のためだ。最悪の結末だ」
「その時イザヤは何か言ったのか、メラリ?」
「言ったというか、二つのことをした。一つは、証人を立てて証書に『マヘル・シャラル・ハシ・バズ』と書いたこと、もう一つは生まれた子に同じ名前を付けたこと。事後預言だと言われないためにな」
「今度は、『分捕りは早く、掠奪は速やかに来る』か。だが、アッシリアによってエルサレムが包囲されるのは三十年も後だろう? 王もヒゼキヤに代わっていたな」
「アビエル、さっきの二つ目の質問にも答えるかい? エルサレム包囲の時のこと。将軍ラブシャケは、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道で…」
「おい、それって、三十年前にアハズがイザヤに会った場所じゃないか!」
「気づいた? ラブシャケはそこから、城壁の上の民に聞かせようと、わざとユダヤの言葉で話した。相手の国を打ち負かすには、その民の
気持ちをくじくのが一番だからな。『諸々の国々がアッシリアの前に屈したのは、その神々が無力だったからだ』と、一番痛いところを衝いてきた」
「それは彼が我々の弱点を知悉していたってことだ」
「そこが問題でね。ラブシャケは知っていたんだ、ヒゼキヤがエルサレム神殿での礼拝を推奨して、その他の古来の高台や祭壇を取り除いたことを。だが彼には、そのことの意味がさっぱり理解できなかった」
「それはつまり我々の神礼拝の祭儀が、古来のカナン土着の信仰儀礼と分かち難く結びついていたということか。どう思う、メラリ?」
「少なくともアッシリア人の目にはそう映っていたということだ。アッシリアから北イスラエルへの流入民は言うに及ばず、古来から聖なる高台でその土地の風習に従って祭儀をしていた人々も、一般の民を祭司に立てたり、他の神々にも仕えたりしていながら、自分たちなりに主を敬っているつもりだった。土着の風習が、それほど根深くイスラエルの信仰に浸透していたのだ」
「メラリ、前に『申命記』を編集する時に話したことを覚えてるか? 私はあれからずっとカナン信仰に同化していくイスラエルの民のこ
とを考え続けてきた。ヤコブの時代の我々の先祖が、さすらいのアラム人とも言える遊牧生活を送っていた頃は、祭壇を築いて犠牲の動物を焼いて神に捧げるのは、自然なことで生活の一部だった。だが、カナンに定着し、とりわけ王を立ててからその祭儀は大きく変化していくことになった。お前がさっき言ってたように、農作物や家畜の強制徴収が始まったのだ。ソロモンの頃、代官は何人だった?」
「十二人だ。各代官が一か月ずつ王と王室の食糧調達を任されていた。それだけじゃない、王国全土の騎兵一万二千人と四千の厩の馬にも、一か月交代で食糧を調達しなければならなかった。もちろん、これらはすべて各地域の人々に課される負担となる。それに、アビエル、年貢を納めるだけでなく、戦争や神殿建築ほか様々な労役のために民を徴用したのだから、どれほど人々の生活は苦しくなったことか」
「かつてサムエルが王制について預言した通りだな。そして結局、最も良い畑やぶどう畑が没収され、収穫した穀物とぶどう及び所有する羊の十分の一が徴収されることとなった。強制的に取り立てられるものが増えたために、民は苦しい生活の中から、神への献げ物をする余裕を失ってしまったのだ」
「そうか、…。そこに、聖なる高台で祭儀をする『レビ人ではない祭司』の活動の場ができたのだな。何しろ誰でも若い雄牛一頭、雄羊七頭で祭司の任職を願い出るだけで、高台で香を焚く祭司になれたのだから」
「その通りだ。しかもその任命は、ヤラベアムを皮切りに諸王によってなされ、ヨシヤ王の改革まで続いた。我々の祭儀における燔祭は、切り分けた犠牲をすべて焼いて煙にし、神に捧げることになっている。これは燃やして主に捧げる宥めの香りだが、動物の皮は祭司のものとなる。一方、酬王祭に関しては、脂肪と内臓は焼いて神に捧げるが、肉は奉献者と祭司が共に与ることになっている。だから、ソロモンは神殿奉献の時、酬恩祭として牛二万二千頭、羊十二万頭を主に捧げたのだ。国中から民が集って、皆でご馳走を食べて喜び祝ったことだろう。しかしもし、高台で動物犠牲の祭儀をする『レビ人ではない祭司』が、燔祭の規定を緩やかに変えたとしたら、貧しい人々がその方向へ向かう流れを止めるのは難しいだろう」
「アビエル、それはつまり、燔祭であってもすべて焼き尽くすことなく、奉献者の口に入るものとして処理すると言うことか?」
「メラリ、お前もそうだろうが、私は高台の祭壇に行ったことがないから、具体的にどんな祭儀をしているのかは知らない。だが例えば、エルサレム神殿や他の聖所のレビ人祭司のところへ行くより、他のにわか祭司のところへ行った方が自分の取り分が多少でも多いとか、あるいはこれは貧しい人々や庶民一般に限らず、地方の有力者や王にとってもそうだと思うが、祭儀に動物を犠牲として用いるという考え方を逆転して、食事用に屠る時に少しだけ祭儀的要素も加えて、燔祭の祭儀行為として代替するといったようなやり方なのかもしれない。これは十分あり得ることじゃないか?」
「アビエル、それを聞いて思い当たることがある。この書の最初の方でソロモンがギベオンへ行って、その聖なる高台の祭壇に一千頭の犠牲を捧げたことを記すつもりだが、資料によるとそれは燔祭としたことになっている。これほど多くの犠牲を全部煙にしたのかと、その時確かに疑念がよぎったのだが、これが神殿ができる前の話で、ギベオンの高台で『レビ人ではない祭司』が行った祭儀だとすると、合点がいく」
「メラリ、私にとってさらなる悩みは、ひょっとすると零落したレビ

人祭司が、止むに止まれずこのような祭儀に手を出してしまったかも知れないということだ。そこまで行けば、バアル礼拝をしたり天の万象を拝んだりするのも訳はない」
「おい、それはまさに、『民数記』に書いたペオルのバアル事件の再来だぞ、アビエル」
イスラエルが王制となってからの経済的、社会的変化の大きさに二人は圧倒され、それが人々の暮らしと信仰を蝕んでいった実態に打ちのめされる思いだった。我々は、これほど深く憂慮すべき事態を抱えていたのだ。やがてアビエルが言った。
「ああ、なんと! そういうことだったのか。状況がこれほど深刻だったとは…。『申命記』で私は、必死の思いでイスラエルの民に呼びかけ、およそ考えられる限りの配慮をして律法に相当する書を記したつもりだったが、混迷する社会状況とそれを生じさせた原因があぶり出されてきた今、律法と祭儀による立て直しは土台無理だったか…。何はともあれ、メラリ、さっきの話に戻ろう。それで、ラブシャケの態度にヒゼキヤはどう対処したのだ? 何かできることがあったのか?」
「『サマリヤを救い出した神がいたか』という嘲りの言葉を聞いて、
ヒゼキヤは宮内卿エリアキムと書記官セブナおよび年長の祭司をイザヤのもとに遣わした。イザヤからの託宣を受けて、ヒゼキヤは神への祈りを取り戻したのだ」
「メラリ、そこまで聞いたら思い出した。この時のヒゼキヤについて、昔アヒメレクが語っていたことを。ええと確か、ヒゼキヤの告白は…、『神々が滅ぼされたのは、それらが神ではなく、人の手によって作られた木や石だからだ』というものだった」
「今思うと、その後にマナセがカナン的なものを復活させて取り込み、ヒゼキヤと逆方向に邁進したのは、ラブシャケの言葉を受け入れた感があるね」
「と言うと?」
「本来相容れない信仰を敢えて突き詰めずに、古来の慣習に同化した方が統治しやすいと踏んだのだろう」
「ヒゼキヤも後のヨシヤ王も厳しい改革に着手したのは、まさにそういうカナン的なものを取り除くためだ」
「お前の言うカナン的なものとは、どういう意味だ、アビエル?」
「カナンは乳と蜜の流れる地、そういう豊かさを求めること自体なん
ら悪いことはない。だがそれが知らず知らずのうちに究極の目的となったり、自らの存在の根源を忘れて、神に頼み願い求めてもよきものをもたらさぬ神を無力なものと考えるのでは、神を知らぬものと言うべきだろう。まさにラブシャケのようにだ」
「ラブシャケはカナン人ではないのだから、それを言うなら、あらゆる国々の民に共通する陥りやすい罠ということになるだろうな。言うなれば、いつも注意していないとあっという間に飲み込まれてしまう生き方が、カナン的なものということか…。ともかくイザヤは神からの預言を受けて、それをヒゼキヤに伝えた。『これより二年は落穂や自然に生えたものを食べねばならないが、三年目には種を蒔き刈り入れることができる。アッシリアの王はエルサレムに入ることなく、来た道を戻っていく』と」
「実際その通りになった」
「ヒゼキヤがありったけの金銀をセナケリブに支払ったのは事実だろうが、アッシリア軍は突如として退却することになった。その陣営に何事か起きて、十八万五千人が死ぬと言う大打撃を受けたのだ。伝染病でも起きたとしか考えられないのだが…」
「奇跡的なことだったな。メラリ、あやふやな記憶だが、イザヤは一時期、活動を休止していたことがあると聞いた気がするんだが」
「その間およそ三十年だ。アハズがイザヤの預言を無視して、その企てが成功したように見えた時、イザヤは長い沈黙の生活に入った。人々の嘲笑に耐えながらね」
「預言者が人々の嘲りにあうのはエレミヤと同じだな。破滅が本当に来ないうちはな」
「その時イザヤは、預言の言葉を一つにまとめ、その教えを封印して弟子たちに渡した」
「インマヌエル預言か」
「『ひとりのみどりごが我々のために生まれ、平和の君と唱えられる』と」
「あの頃、平和の兆しなどなかっただろう?」
「そうだ。だが、イザヤはこう語ったそうだ。『彼らは剣を打ちかえて鋤とし、槍を打ちかえて鎌とし、国は国にむかって剣をあげず、もはや戦うことを学ばない』と。アビエル、どうかした?」
「言葉が出ない」
「その芽はエッサイの切り株から出るらしい」
「切り株? 一度断たれたダビデ王家の血筋なのか」
「そうなるな。彼によって諸国はまことの神を知るようになり、平和が地に満ちる。狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏すという、目も眩むような平和が」
「そんなことあり得ないだろう」
「ほかにもびっくりするような話をいろいろ聞いたよ」
「どんな?」
「それが説明できれば世話ないさ。ほとんど理解できない話だった」
やがて口ごもりながら、小さな声でアビエルが言った。
「メラリ、今度私も連れて行ってくれないか。メラリにわからない話が私にわかるはずないが、イザヤが弟子たちに封印して預けた書を読んでみたい」
「そう簡単に見せるものか」
「それでもいい、連れて行ってくれ。悪いけど、ちょっと休憩する。頭が混乱してしまって、何も考えられない」
そう言って、アビエルはふらふらになりながら立ち上がった。水飲み場に行こうとして、思い出したように言った。
「何か忘れていると思ってた。さっきのところで、ヒゼキヤがギホンの泉から引いた水道のことを書いてくれるのはよかった」
「シロアムの水か。神殿は焼失してもあの地下水路は残ったからね」
それからメラリは水飲み場に向かうアビエルの背中にこう言った。
『イスラエルに救いの道はあるのだろうか』というさっきのお前の問いだがな、難問だけどなんだかもうちょっとで解けそうな気がする。だが、その答えを探す前に、まず私たちの務めを果たそう。『サムエル記』と『列王記』を書き上げれば終わりだ。私には『アビエルよ、メラリよ、お前たちはここで何をしているのか』という老アヒメレクの声が聞こえてしかたない」
「わかった、急ごう。だが忘れるな、メラリ。それで終わりじゃないぞ。最初の書がまだ残っている」



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 第8章へ続く








列王上11:3











サム下12:1〜15
列王上1章







サム下3:17〜27
サム下11:14〜17


サム下19:1〜7


サム下20:8〜10













列王上3:1







サム下20:23〜26
列王上4:1〜6










イザヤ29:15、
   30:1〜3


イザヤ22:15〜25









列王上12:16





列王上5章








サム下8:7〜12


列王上5:6




列王上5:8〜11







列王上5:11





列王記5:13〜16









列王上6:37〜7:1


列王上9:10〜13

















列王上10:22









列王上10:1〜10


ヨナ書1:1〜3







申命記1:15〜17











列王上3:16〜28











サム上3:11、
列王下21:12

箴言30:7〜9













箴言16:33

箴言14:12




箴言17:17





箴言17:1






箴言31:25〜26



箴言15:17


列王上4:22〜23








列王上4:25〜26







列王11:3〜8








列王上8:62〜63

















列王下8:10〜11





列王上8:23〜53
















列王上9:1〜9






列王上11:26〜31



列王上12:1〜20

















列王上12:26〜33










列王上13:1〜10





列王上13:11〜32











列王上17:8〜24



列王下5:1〜19








列王下5:20〜27





列王上18:17〜40


列王上19:1〜13

























列王上12:25、14:17



列王上16:15〜18




列王上16:23
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列王上16:24






列王上16:31〜33


列王上21:1〜16




















列王下8:1〜6













列王下9:30〜10:31









列王下6:24

列王下8:28、10:32、12:17〜18
列王下8:25〜27



列王下14:8〜14

列王下14:7、13:25




列王下14:13〜14






列王下17:1〜6









列王下18:13〜16







列王下20:1〜11


列王下21:1〜7









列王下22:8〜23:25









列王下23:29





















エレミヤ26:1〜5






列王下17:15

























































イザヤ6章










イザヤ7:1〜9




















イザヤ7:10〜17












列王下16:7〜9








列王下16:10〜18










イザヤ8:1〜4








イザヤ36:1〜3
列王記18:13、17〜18















イザヤ36:7〜20
列王記18:22〜35








列王上12:31
列王下17:28〜34










申命記26:5








列王上4:7、26〜28









サム上8:10〜18








歴代下13:9







レビ記1章
レビ記7:8
レビ記3章
レビ記7:32
列王上8:63

























列王上3:4














民数記25:1〜9





















列王下19:1〜20





































列王下19:29〜33






列王下18:14〜16


列王下19:35













イザヤ8:16



イザヤ9:6



イザヤ2:4





イザヤ11章



























列王下20:20


























































































































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